2014年8月20日水曜日

Half-Invisibility Lark2

少し作品について。
今回テーマにしたのが、”半透明人間”です。
この作品は、いくつかのプロジェクトを同じテーマで一緒にインスタレーションしたものです。
ビデオ、立体、ドローイング、写真、陶器、版画など、いくつかの要素で成り立っています。





この作品の発想の元になったのは、
留学先だったポルトガルの風刺画家であるRafael Bordalo Pinheiroの作品と、
1940年の東京オリンピックのポスターです。
(実際、1940年の東京オリンピックは行われませんでした。日中戦争の激化をはじめとする国際情勢の悪化、物資の統制化、相次ぐ国内外からの大会返上の呼びかけにより、日本は開催を辞退しました。)
このポスターには、腕のない埴輪が描かれています。
調べてみると埴輪に腕がないことはめずらしいことではないようです。
この作品は、この”腕のない埴輪”を”半透明な状態”と再解釈するという発想から生まれました。




”半透明な状態”というものの解釈には、日本と西洋とでは違いがあるようです。
(谷崎潤一郎の陰影礼賛にすれば)西洋では、全体的に透けていく状態が、半透明な状態であるのに対し、日本では、幽霊がそうであるように、部分的に欠落している状態のことのように解釈されています。(例えば、幽霊には足がありません。)
ポルトガルの風刺画家、Rafael Bordalo Pinheiroは、当時の君主制の批判をするため、様々な風刺画を制作していました。彼の代表的なキャラクターであるZé Povinhoが行う腕を交差するポーズは、男根を表しており、反体制のシンボルマークとなっています。








私は、これらの文脈を繋いで一つの物語を空想しました。
1940年の東京オリンピックのポスターの埴輪は”半透明な状態”で、
隠された腕はこの腕を交差するポーズであったのでは、と。
その時、この埴輪は”去勢されたふり”をしていると見ることができます。
精神分析では、自己を確立することは、去勢されることによってなされるとされていますが、”去勢されたふり”をする埴輪は、父性的な掟を拒みながら受け入れるという”中間的な状態”であるといえます。(他と区別し自己を確立する”ふり”をしながら、他に部分的に溶け込んでいる。)私は、この”中間的な状態”と”半透明人間”とを重ね合わせ、
このプロジェクトを制作しました。(つづく)

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